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心臓を手術しワーファリンを飲んでいた私。だけど今は飲んでいません。飲まなくなった理由

この記事は約13分で読めます。

薬 アイキャッチ

(画像はイメージです。)

私は以前、「ワーファリン」(ワルファリンとたまに言われたことあり。)という薬を処方されていました。

心臓の弁に人工弁やリングを入れたときに、それらに血が凝固してとりつくことを防ぐための薬。

血液をサラサラにする薬と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

最初の手術の後、ワーファリンを常用していたのですが、様々な理由が重なり、4年経った現在はワーファリンを飲まなくてもいい生活を送っています。

様々な理由。いろいろな出来事がありました。

私がワーファリンを今は飲んでいない経緯。そのおはなしをしていきます。

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ワーファリンの扱いはデリケートでした

最初の心臓手術が終わり、CCUから一般病棟に移ったのと同じころワーファリンを飲むようになりました。

理由は、手術によって、心臓の僧帽弁にくっついていた菌を取り除いたのち、ぼろぼろに破壊された僧帽弁の機能を補うため”リング”をとりつけたから。

そのリングに血液がとりついて凝固されるのを防ぐためにワーファリンを飲むことに。

看護師さんは血液をサラサラにする薬と言うことが多いです。

血液をサラサラにするというと聞こえはいいですよね。

ところがこのワーファリンが厄介な薬で、決まった量をそのまま飲んでいるだけでいいものではないのです。

血液検査で調べた血中成分などから医師が効き具合を判断し、患者それぞれの状態にあった適量を処方します。

そのように管理が重要な薬であるため、

自分の勝手な判断で飲む量を減らしたり、増やしたりしたら危険です。

食事を摂る量にでも影響がでてきます。私はその影響でひどい目にあいました。実体験に基づいてそう思っています。

実体験についてはのちほど話をさせていただきます。

手術をしてICU、CCU生活が終わり、一般病棟に移るとワーファリンを除く薬の管理は自分で行うようになりました。

しかし、薬の管理を自分でするようになっても、ワーファリンだけは看護師さんが管理、飲む時間になると持ってきてくれます。

そして、持ってきてくれた看護師さんの目の前で飲んだことを確認してもらわなければなりません。

次から私がワーファリンを飲んでいたころの体験談をつづっていきます。

ワーファリンの影響で出血しやすくなった

血液をサラサラにするためワーファリンを飲むと出血しやすくなります。

私もワーファリンを飲むようになってから、温度が高いところにいたり、寝ているときに鼻血がでるようになりました。それまでは全くでなかったのにです。

起きているときだけじゃなく、眠っていても鼻に違和感を感じて目覚めます。そんなときは鼻に手を当ててみると鼻血がでているのです。

その量は鼻に詰めたティッシュがあっという間に真っ赤になるほど。

ピーナッツを食べたときのような出かたではなくて、殴られたときに出る鼻血の出かたですね。

睡眠を妨げるほどたくさんの量が出てきましたが、鼻をふさいで横になっているとそのまま寝てしまえました。

時間はかかるけどそのうち止まっていたんです。いくら鼻にティッシュを詰めても、止まらないことはありませんでした。

一度、夜勤の看護師さんが見回りに来た時、ちょうど鼻血がでていたことがあります。

鼻血がぼたぼた出でいるので、少し心配になり看護師さんに問題ないか聞いたところ、

「すぐに止まってしまうなら、ワーファリンを飲んでる影響だから問題でないよ。だけど止まらなかったらすぐに呼んでね。」

と言われました。

私が滅多なことでナースコールを押さなかったためか、気軽に押すように促した面もあるのかもしれません。

ワーファリンの説明で鼻血やそのほか出血をしやすくなると書いてありましたし、薬飲んでるんだから気にすることはないやと思っていたんです。

そんな日が続くうち退院となり、自宅でワーファリンを飲むように。

自分で管理する日々の始まりです。

自宅で飲んでいたワーファリンが2度目の入院の原因に

退院して自宅にもどり、入院時のように看護師さんの管理ではなく、自分の手によるワーファリンの管理が始まりました。

ワーファリンが入っているカプセル入れは赤く、おどろおどろしい感じです。

この薬をなめたらいけない!扱いに気をつけろ!

とその色味に訴えかけられている感じです。

退院してからも2週間に1度通院し、血液検査や心エコー検査、心電図の結果を見ながらワーファリンの量を調節してもらっていました。

今よりもずっと体の自由が利かなかったので家でおとなしくしていた日々。

そんな生活を続ける中、ひとつめの出来事のおこります。

ワーファリンが起こした悪い影響

転倒して、手のひらを打ち付け大きな血袋が

その頃の私は今よりずっと歩けない状態でした。

家の中でさえ、ちょっとした段差で大きく転ぶことも頻繁にありました。

ある時、事故が起きました。

座椅子に座ろうとして転倒し、桐のタンスに右掌を思い切り打ち付けてしまったのです。

痛いけど血が出てるわけじゃないし、ほっとけばいいやと放っておいたら、その箇所が大きくはれ上がりました。

マズいと思いましたが、その日はそのままに。

翌朝に腫れていたところに、内出血で血が溜まり、血袋になっていました。(映像イメージは水ぶくれの中身がすべて血液な感じ。)

最初は小さかった血袋。しかし、日に日に大きくななっていき、しまいには右手の3分の1ほどが血袋に。(大きな水膨れの中身がすべて血液。。)

血袋の見た目がひどいため、さすがに病院に行くべきかと迷いました。

だけど、当時は通院することすら足がおぼつかないために簡単に実行できなかったったんです。

周りの家族は「退院したんだから、通院ぐらいひとりで行けて当たり前だ。」としか思っていないので付き添いを頼むことなんて絶対無理!

通院でバスに乗る時に、転ばないためにはどんなアプローチをしたらいいかと考えたり、前日から覚悟を決めて出発に備えているような状態。

突然、病院に行きたいと思っても体の準備ができていません。

病院に行くことに踏み切れない私は、アイスバックではれている個所をおさえながらひたすら耐えていました。

そのまま何日か経ち、血袋の中身が固まる。(水ぶくれのように小さくはならず、そのままの大きさで中の血液が全て固まり石のようになっていました。)

さらに何日か待って、固まった血ごとかさぶたがはがれるように血袋がぼろりとはがれました。今でも内出血したあとが小さく残っています。

とても小さな跡なのにあんなに大きな血袋ができるとは恐るべし…。

傷口が小さいのに、あれだけの膨らみになってしまったのは間違いなくワーファリンの影響です。

普段ならすぐにふさがる傷が、薬の影響で血が固まりづらいために大きな血袋になってしまった。

私に付き添ってくれる人がいるなら、すぐに病院に行くべきだったと思います。

だけど、それはできない。ひとりで行くのは本当にきつかった。周りに助けを求めることは私にはできなかった。罵声が返ってくるだけだから。

あなたの周りに、支えてくれる方がいらっしゃる場合、何か変だと思ったら、すぐに病院で診てもらうことをお勧めします。

血袋ができる程度でワーファリンとうまく付き合えていたら良かったのですけど、間を開けずに次の悪い影響が忍び寄っていました。

ワーファリンが原因で下血 2度目の入院へ

身体に内出血が起きやすいこと、歯磨きをしていると出血しやすいことなど、ワーファリンを飲んでいる副作用とはその後も付き合う毎日。

あの時が来るまではワーファリンと比較的うまく付き合ってこれたんです。

それが壊れました。

ちょうど3年前の年はじめ、温かいこたつでうたた寝していた私は、おなかに軽い痛みを覚えました。

「おなかを冷やしちゃったかな。」

くらいの気持ちでトイレに行くと、用を足した後に、とんでもない光景が。

便器の中が全て血に染まっているんです。血の色は鮮血というよりどす黒い。不思議と臭いは全然しない。

3年たった今でもこの時の気持ちをはっきり覚えています。

意識不明から目覚めたときよりも血に染められたトイレを見る方がショックが大きかった。

ほんとにありえない状況がそこにありました。すぐには飲み込めない光景。

私の悪いところに、ほっとけばそのうち良くなるさと考えるところがあります。血袋の時もそうです。

現実とは思えない光景を目の当たりにしてきたのに、腹痛がおさまれば平気だろうと耐えようとしてしまったんです。

耐えようとしても、時間が経つにつれ腹痛と強烈な吐き気がどんどん強くなる。最後には同時に絶え間なく襲ってくる。

下から血が噴き出したと思えば、次の瞬間には激しい嘔吐。

異常な状況とひどい涙目の状態に、血袋ができたときのように耐えていて何とかなるものではないと判断。

いざというときため、退院の時にもらっていた救急病棟へ連絡し、すぐに病院に向かいました。

状況が状況だったのでこの時は家族が病院に連れて行ってくれました。

救急病棟で受けた様々な検査

なだれこんだ救急病棟。

待っている方がかなり大勢いたが、診察する医師の数が多く、30分もしないで順番がまわってきました。

この時に受けた検査は心臓の時とはまた違う苦しいもの。

おしりに指を突っ込まれて出血の状況を確認されたり、あまり思い出したくない色々。。

検査の結果、緊急入院することに。私にとって2度目の入院は心臓血管外科ではなく、消化器内科でした。

胃カメラ初体験

消化器内科入院中に、胃カメラの検査や大腸スコープの検査とかなり嫌な検査をたくさんしました。

歯を磨いていても、しょっちゅうオエッとなる私は胃カメラがまずきつかったです。。

意識がある状態だと喉より奥にカメラを入れられないため、薬で眠らされました。

眠っている間に検査は終わり。眠らされるまではほんと辛かった。オエオエ言いっぱなし(笑)

目が涙でいっぱいであまりに哀れだったのか、看護師さんに慰められてしまいました(笑)

検査の結果、胃からの出血はなし。綺麗な状態だと確認。

大腸スコープ

日をおいて大腸スコープ。これは2度とやりたくない(笑)

まずお腹の中を空っぽにするために、くそまずい水状の薬を全部で4リットル飲みます。(回数は何度かに分かれます)

お腹の中に溜まっているものをその薬が押し出すので、最後にはゼリー状の物質しか出てこなくなりました。

その状態になると大腸スコープを受ける準備完了です。

…薬が入っていたオレンジ色のあのボトル。忘れることができません。何も食べてはいけないなかあの薬を飲み続けるのはきつかった。

ここからが本番。

大腸スコープは胃カメラの時のように薬で眠らせてくれることがありませんでした。意識がある中、腸のなかを進んでいるのがわかります。

スコープでとらえた映像を見ながら状態の説明を受けました。

大腸のところどころに出血のあとが見える。ここからの出血が原因で下血したんだろうとのこと。

腸のひだの間に血が溜まっているところも。

大腸スコープで辛かったのはスコープを抜くとき…。

例えるなら、電車の中でお腹が痛くなり1回目、2回目の波は乗り越えてホッとしたところにやってくる3回目のお腹の痛み。

スコープが完全に表に出るまでずっとその感覚が続きます。出るものがないのに漏れそうな感覚がずっとしているのはきつかった(笑)

出血とは関係ない話ですが、綺麗な腸だと言われたのが辛い検査の中でたったひとつの良かった事です。

そして退院

消化器内科の入院生活は短く、2週間で退院となりました。

退院間近、今思えば3度目の入院となる原因としか思えない出来事が起こります。

午後になると38度越えの高熱が出るということが続いていました。

これはおかしいと血液検査をしたところ、炎症値が少し高くなってきているからと退院後に血液内科の外来を受けること運びに。

退院後、自宅に戻り体温の計測を続けていたところ、38度越えが頻発するようになってきました。

通院したとき血液内科受診前に検温を必ずするのですが38度くらいの熱が出ることが多くなってきた。

ある日の診察後は様子がおかしかった。

数値がおかしいと血液検査を繰り返し、そのうえ尿検査までやることになり不穏な空気に。

3度目の入院、2度目の心臓手術

血液検査の結果、炎症値が普通の値ではなかった。高熱がでていることで体が証明している。

その時は以前からの通院の目的でもある心臓血管外科の外来も入っていたので、心エコー検査も行う。

エコー終了後、心臓の先生の診察を受けると前回の手術で僧帽弁につけたリングに何かが取りついている影が見えるとのこと。その場で入院を促される。

「また入院…」

と心の中で思いつつ、この時は持ち合わせがなかった事(入院しろと言われるとは思っていなかった)、循環器・心臓血管外科の病棟にベッドの空きがなかったことが重なり、だめもとで先生に翌日の入院でなんとかならないか?と伝えたところベッドコントロールというものをしてもらったうえで翌日に入院することに決まる。

2度目の手術の体験記の詳細は機械があれば改めて記録していくので、ここでは端的に話します。

・心エコーで見えていたリングに取り付く影は今度は菌でなくカビ(!?)。
・抗生物質の投与でしばらく様子を見るが、改善がみられなければ再びの手術が必要

1か月ほど様子を見た結果、全く改善が見られず手術が必要に。

菌、カビと立て続けに心臓に異物が入りこんでしまったため僧帽弁と大動脈弁がかなりボロボロになっている。そのため人工弁をつけることをすすめらました。

このときに人工弁をつけてる選択をしていれば、私は障害者となり障害者枠採用を狙うことによって、社会復帰をできていたかもしれません。

しかし、人工弁をつければデメリットもあります。

生体弁の場合、私の年齢的に生涯で複数回取り替えなければならない。(当時は20年に1回程度と先生に言われました。)

機械弁を選べばワーファリンが生涯手放せない。このとき話を聞いたときはかなり悩みました。

機械弁を取り付ければ、社会復帰が容易にできていたかもしれませんが、前述のように私はワーファリンの副作用で下血を起こし入院している。

生涯、ワーファリンと付き合うことになれば、これから何度下血の脅威を味わうのか想像もつかない。

生体弁をつければ弁の劣化により必ず交換しなければならないときがくる。何度も胸を切り開く必要が強いられる。心臓は切り開けば切り開くほどダメージがたまっていくからこちらも簡単には選べない。

特に下血の恐怖は私にとってかなりのものでした。

これを起こし入院したことによって、生涯ひとりでいることとなったことも恐怖の要因です。入院の連絡をしたら一気に彼女と疎遠になってしまいましたから。

また、最初の手術の時とは違った場所に脳の出血と軽い梗塞が見つかりました。最初の時のように意識不明になったり、自覚症状は全くなかったんですけどね。

医師からの説明で状況によっては呆けたり、性格が変わる可能性があるという話も聞きました。今後どうなるかわからないのにリスクのある人工弁を入れる選択は私にはできなかった

決断の結果、2度目の手術はとにかくカビが取りついたリングを取り除くことだけを行うことになりました。

弁置換の問題は3度目の手術の時まで考えることに。

2度目の手術が終わった時点で次の手術が確定していたのです。

3度目の手術の時に人工弁を入れないと修復不能な状態になっていれば否が応でも弁を入れざるを得ないことを2度目の手術後から覚悟することに。

2度目の退院後、3度目の手術まで一時的に心臓の内部の壁に穴が開いた心不全の状態で退院して過ごすことに。

下血後、2度目、3度目と立て続けに手術が決まりました。

先生にはこの状態で心が折れないのはすごいと言われたり。

その時の私の気持ちは結婚して家庭を持ちたいという大きな夢をあきらめたことで肝が据わっていて、どんなに苦しくても自分の根性で何とかできることはあきらめずにいようと固まっていました。

2度目の手術により、リングを取り外し、ワーファリンを飲む必要がなくなりました。3度目の手術までに色々と考えなければなりません。

現在、私の心臓は人工弁を入れず、心臓の健康な部分の組織から弁を補修し動いています

人工弁を入れなかったせいで、仕事の復帰には未だに難儀していますが、自分にできることをして時を待つしかありません。

私はワーファリンとうまく付き合えませんでしたが、主治医の指示を守って正しく使っていればこれまで書いてきたことのようになる恐れは低いんじゃないかな。

以上、ワーファリンを飲まなくなった理由でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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心臓/脳みそ闘病記
この記事を書いたひと
こぎけに

3度の心臓手術と合併症の脳梗塞を経験し、身体を大きく壊したが自由な時間を手に入れる。日々プレイしたゲームやリハビリの記録をこのブログに記録。体調を崩すと更新が止まりますが更新できる限りは続けていきたいと思っています。

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